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沈黙 サイレンス 映画 ラスト

. 遠藤周作の名作小説『沈黙』のハリウッド映画化です。マーティン・スコセッシ監督は遠藤周作の小説をほぼ読破してるほどのファンで、沈黙の映画化も約30年間も思い描いてきたようです。劇中でエンドロールでさえ、人工的な効果音・音楽・BGMを使わず、波・風・虫の音だけなのはこだわりを感じさせます。 主役のロドリゴ神父を演じきったアンドリュー・ガーフィールドは『ハクソー・リッジ』でも強くキリスト教に影響を受けて沖縄戦を演じたので、偶然とはいえ宗教と日本には浅からぬ縁があるようです。『アメイジング・スパイダーマン』を演じたように、幼さも残る俳優なので葛藤するシーンにも説得力があります。 ストーリーはロドリゴら若い神父が日本に密入国して、かつての師フェレイラ神父が棄教したという真相を探っていく話ですが、段階的に日本でのキリスト教弾圧の光景を見せることにより、じょじょにロドリゴに宗教や神についての疑惑を抱かせるという見事な構成になっています。 「信仰する者が苦しみ死ぬ間際でも、なぜ神は沈黙したままなのか」という、時代が時代ならタブーになりそうなテーマを何度も何度も繰り返します。井上奉行との禅問答も本質に近い部分をついてて興味深いです。宗教とは、神とは、信仰とは、などについて久しぶりに考えさせられます。 また一見すると悪役にも思える井上奉行が、今の司法のように公平にふるまうのも少しづつ魅力的に思えてきます。キチジローの存在は、この物語の鍵となりますが、最も現代の日本人に近い精神性を持つようにも感じるし、皮肉にも最も人間的であるようにも見えます。弱さゆえに信仰を棄てきれない顔は、イエスの顔とも重なってきます。 エンタメ要素は全くなく、日本という小さな島国での歴史なので、米国も含めて世界的な興行収入は惨敗に終わりましたが、日本でもふるわなかったのは残念です。日本人の精神性は今も昔もそれほど変わらないと感じられる映画でもあるので、DVD/Blu-rayなどでもぜひ1度は観ることをおすすめします。. 沈黙 -サイレンス-()の映画情報。評価レビュー 4869件、映画館、動画予告編、ネタバレ感想、出演:アンドリュー・ガーフィールド 他。遠藤周作の小説「沈黙」を、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』などの巨匠マーティン・スコセッシが映画化した歴史ドラマ。17世紀. トップ > 映画『沈黙‐サイレンス‐』 > 【ネタバレあり】映画『沈黙‐サイレンス‐』のラストについて この広告は、90日以上更新していないブログに表示しています。. 沈黙 -サイレンス- のキャスト、スタッフ、映画レビューやストーリー、予告編をチェック! 上映時間やフォト. 。 さすがに篠田版は現在の日本では馴染みのないキャスティングではあります。 それに対してMS版のアンドリュー・ガーフィールドは『アメイジング・スパイダーマン』2作(12・14)の主演、アダム・ドライバーも『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(15)カイロ・レン役で大躍進したものの.

年アメリカ映画(原題:Silence)。 遠藤周作の小説「沈黙」を、巨匠マーティン・スコセッシが30年の歳月をかけ映画化した歴史ドラマ。キリシタン弾圧が行われていた江戸初期の日本に渡ってきたポルトガル人宣教師の人生を描く。主人公のロドリゴ役に「アメイジング・スパイダーマン」のアンドリュー・ガーフィールド、フェレイラ宣教師に「96時間」のリーアム・ニーソンをはじめ、窪塚洋介、浅野忠信、イッセー尾形、塚本晋也、小松菜奈、加瀬亮らの日本人俳優が脇を固める。. という正直な気持ちもある。 なお、キリシタン迫害により殉教した日本人信徒たちのうち、1597年2月5日に殉教した26名は、≪日本二十六聖人≫として1862年にローマ教皇によって聖人認定されている。あくまでも自分の信念を貫いて戦って殉教した者たちは、決して否定されるべきではない。それは、他の信者たちの信仰心をも尊重した結果の行動だともいえるからだ。多くの殉教者を尊んでいる長崎や、世界中の殉教者たちに関わりの深い信者たちが反発するのではないかと思うのが、この点だ。. 映画『沈黙 -サイレンス-』(年・米)を無料で観るには? 年公開の米映画『沈黙 ーサイレンスー』。日本の江戸時代初期の神父および「隠れキリシタン」たちの苦悩を描いた作品ですが、ネットで観る方法を探してる人も多いのではないでしょうか。. 『沈黙‐サイレンス‐』の主人公はロドリゴだが、もう1人の主人公といえるのがキチジローだ。何度も「転び」、何度も裏切り、その度に告解による赦しを求めるキチジロー。ひどく弱く、そしてひどく図太い男。 沈黙 サイレンス 映画 ラスト しかし、キチジローは他の信者と決定的に違う。他の信者がフェレイラの言うように浄土真宗的な転生に救いを見出しているとすれば、キチジローは常に1対1で神と向き合っている。苦しみ、もがき、己に負け、悔い、告解し、祈り、そしてまた己に負け. とっても深い映画でした。 隠れキリシタンたちへの想像を絶する拷問が見るに耐えない。十字架に張りつけにされたま.

私にとっては、『沈黙』で提示されている信仰のあり方は理解できるものだ。特に、ロドリゴの行動は迫害を沈下させることに繋がったはずなので、隣人のための自己犠牲そのものだった。 しかし、これが結果論だということも見逃せない。実質的に最後の宣教者だったらしいロドリゴに対し、フェレイラの棄教はさらなる犠牲者を招いたはずだ。フェレイラを「転ばせた」ことは奉行たちに成功体験を与えてしまったわけで、フェレイラはある意味で加害者になってしまったともいえるだろう。本人にその意図がなかったとしても。 ロドリゴが聞いたのがあくまでも「内なる声」だったという点も反発を招くポイントだろう。端的にいうと「言い訳に聞こえる」ということなのだが、キリスト教は”イエスの復活”という奇蹟をもって初めて成立する宗教で、イエスと神は同一の位置にいる存在なので、キリスト教では”イエスの声”や”神の声”というものについては慎重になるという傾向がある。客観的な証明なく”神の声を聞いた”というような事象に懐疑的、といえばいいだろうか。そもそも、「人間は神の声を直接聞くことはできない」という前提に立っているのだ(神の声を聞くために教会は存在している)。なので、ロドリゴが聞いた「内なる声」を”イエスの声”と認めることはできない、という意見はあるだろう。自分の決断を肯定するために神を利用した、という見え方だ。 また、フェレイラのいう「沼地」論も、議論の対象になるだろう。キリスト教の教えや西欧文化を”普遍的なもの”として押し付けた宣教師たちの傲慢さを提示した、という点はその通りなのだが、”日本人はキリスト教の神を理解できない”という結論では、身を投じていった殉教者たちが浮かばれない. マーティン・スコセッシ監督が手がけた遠藤周作の小説「沈黙」を原作をしたハリウッド映画「沈黙 -サイレンス-」は、年に全世界へ向けて公開されました。. 17世紀、江戸時代初期の日本。長崎では厳しい隠れキリシタン弾圧が行われ、雲仙地獄谷では穴の空いた桶に熱湯を入れ、少しづつ体にかける拷問により、多くのキリスト教宣教師が棄教(信仰をすてること)します。クリストヴァン・フェレイラ神父(リーアム・ニーソン)もその光景を見せられ棄教を迫られます。 ポルトガルのイエズス会の宣教師セバスチャン・ロドリゴ神父(アンドリュー・ガーフィールド)とフランシス・ガルペ神父(アダム・ドライヴァー)は、師であるフェレイラ神父の棄教のうわさを聞き、信じられず確かめるために、危険を覚悟して日本へ渡ることを決意します。 中国のマカオに着いたロドリゴ神父とガルペ神父は、日本へ密入国する中国船と、マカオ滞在の日本人キチジロー(窪塚洋介)という案内人を見つけることができます。しかしキチジローはキリスト教徒ではないと言い不安になりますが、なんとか長崎のトモギ村への密入国に成功し、村人に手引されます。 モキチ(塚本晋也)は、そこには司祭がいないため「じいさま」と呼ばれる村長のイチゾウ(笈田ヨシ)だけが洗礼を行えると言います。ロドリゴらは最初は、夜の真っ暗な家や不気味な女性や吐き出すほどの粗食などに動揺するが、彼らのもてなしに感動して、持ってきた十字架を差し上げます。 ロドリゴらはキリスト教の宣教師なのに、密入国やその国で禁止されてる布教活動をしてもいいのでしょうか。序盤からそのことが気になってしまいます。どの国で宗教弾圧されても宗教はなくならないので、法よりも信仰が優先されると考えるべきなのでしょうか。 ロドリゴらは炭小屋に隠れて、夜だけ外へ出て、村人の懺悔を聞き、真っ暗闇の中ミサを行います。そんな生活がつづくと、ガルペ神父はしだいにいらだちます。2人で小屋の外でくつろいでると、何者かに見つかってしまいます。2人は小屋に隠れますが、キリシタンがやって来て、五島列島へ来てほしいと頼まれます。 キチジローも五島の出身で、8年前の井上奉行の隠れ切支丹狩りの時に、イエスを否定して踏み絵をして、家族のうち自分だけ助かったそうです。ロドリゴ神父だけが五島列島へ船で向かい、手厚く歓迎されます。やがて近くの村からも信者が集まってくるようになります。 フェレイラ神父と長崎で会ったという人も見つけますが、今は危険で近づけないと言います。信者たちは信仰の対象物を求めたので、. 日本映画の海外リメイクの代表格は、何といっても『リング』(98)→『the. See full list on cinema.

結:最後の生活とラストシーン! 【映画レビュー 「沈黙-サイレンス-」:満足ポイント】. 映画「沈黙-サイレンス-」の掲示板「最後まで沈黙しろよ~。」です。具体的な内容に踏み込んだ質問や議論などはこちらで。ネタバレ投稿も. もっとたくさん映画に出てほしい! この映画、原作とラストが違うところも ポイントです。 是非原作も読んでみてほしいと思います。 (アマゾンで売れてる~) 余談ですが2月4日から始まる土曜ドラマ 「真昼の悪魔」の原作者は 「沈黙―サイレンスー.

映画「沈黙サイレンス 」ネタバレあらすじとラストまでの結末・動画やみんなの感想を掲載。起承転結でわかりやすく徹底解説しています。沈黙サイレンス のストーリーの結末・感想や感想を含んでいるので、観ていない方はご注意ください。この映画のカテゴリーは ヒューマンドラマ です。. All Rights Reserved. ロドリゴがキチジローに対して抱いた「感謝の気持ち」とは一体どのようなモノでしょう? 何度も裏切られ心底侮蔑していた男に対し、いくら「真の信仰に目覚めた」からといって感謝するというのは.

何だかポイントが外れてきた感もあるので(!?)、話を『沈黙‐サイレンス‐』に戻しますと、マーティン・スコセッシ監督は『タクシードライバー』(76)『グッドフェローズ』(90)『ギャング・オブ・ニューヨーク』(01)などヴァイオレンス映画の快作群と並行して、キリストの最期とその直前に彼が見た幻想を描いた『最後の誘惑』(88)やダライ・ラマ14世がチベットを脱出してインドへ亡命するまでを描いた『クンドゥン』(97)といった宗教を題材にした映画に果敢に挑戦しています。. 映画『沈黙 サイレンス』のフル動画を無料視聴する方法を分かりやすくご紹介していきます!↓今すぐ『沈黙 サイレンス』の動画を無料で見たい方はこちらをクリック↓なお、当記事でご紹介している映画『沈黙 サイレンス』の動画配信状況は年3月現在のものになりま. 映画、沈黙サイレンス、の最後のシーンについて考えさせる映画でした。ところで、最後のシーンで火葬にされるロドリゴさんの手に何かありましたが、あれは、誰が握らせたんでしょうか? 死んでいるロドリゴさんが握っていたわけはないでしょうし?やっぱり奥さんが死装束に短刀を. See full list on theriver. Netflixで面白いホラー映画が見たい人必見!本記事ではNetflixでしか見られないオリジナルのおすすめホラー映画を10個厳選して紹介します。まだ登録したことがないという方はこの機会に検討してみてく.

キャストで比較しますと. さて、MS版を見ているうちに、日本文学を原作にした海外映画はどのくらいあるものかと、ふと考えてしまったのですが. 今週評論した映画は、『沈黙 -サイレンス-』 (年1月21日公開)です。【文字数:11,154字】 【文字数:11,154字】 Text by みやーん(文字起こし職人). 沈黙 サイレンスの作品情報。上映スケジュール、映画レビュー、予告動画。遠藤周作の小説「沈黙」を、「ディパーテッド」「タクシー. (c) FM Films, LLC. 『沈黙-サイレンス-』は年の映画。『沈黙-サイレンス-』に対するみんなの評価やクチコミ情報、映画館の上映スケジュール、フォト. ただし、ロドリゴがキチジローに最後の秘蹟を行った時点で、ロドリゴは日本人の中の信仰も認めたのだと私は解釈している。いや、「それぞれの信仰のかたちがある」ということを認めたというべきか。思い切って「棄教という行為により、宣教師ロドリゴは真の(個人レベルの)インカルチュレーションを実現した」といってもいいかもしれない。 カトリックといっても、人によってリベラルな考え方もあれば、保守的な考え方もある。神への忠誠心をより厳格な形で守り抜こうとする保守派にとっては、『沈黙‐サイレンス‐』は受け入れがたい要素を多分に含んでいるのだろう。 しかし、ロドリゴの行動は、聖書に書かれている神の愛となんら矛盾するものではない、というのが私の結論だ。常に神の声に耳を傾け、常に神の存在を感じ、自己犠牲の精神を持って隣人を愛するということ。これが、すべて。例え一見して神に背く行動をしたとしても、その裏に深い信仰が隠れている可能性はある。特に、様々な文化的背景を背負った人々と共存する現代社会において、何よりも重要なのは神の愛を信じ、神を感じることだ。 最期、日本人として死んだロドリゴの手には、妻によってあるものが握らされた。これは、決して消えなかったロドリゴの信仰心を表しているのだが、その描写を待たずしても、棺が映った瞬間に既にロドリゴの信仰心は示されていた。棺の前に飾られていた花は、白百合。白百合とはキリスト教において復活のシンボルとされる花であり、「野に咲く名もなき弱きもの」をイメージさせる花でもある(マタイ福音書6章より)。キリスト教の葬儀では献花に白百合を用いることが多い。スコセッシ監督の確固たる信仰がハッキリと提示されているラストシーンといえるだろう。 『沈黙‐サイレンス‐』は、キリスト教徒それぞれに信仰のあり方を問う作品だ。深い共感を覚えるのか、強い反発を覚えるのか、新たなキリスト教への疑問が湧いてくるのか、それは人によって異なるだろう。私は、フェレイラに対してや「沼地」論には若干の反発を覚えつつも、ロドリゴやキチジローには深く共感した。 愛について、神について改めて考える機会を与えてくれたスコセッシ監督に感謝。 Eyecatch 映画『沈黙 サイレンス』感想・評価【スコセッシが描く、間違っていない日本の姿】 /05/18 2分.

物語は、主人公ロドリゴの葛藤と魂の叫びを中心に描かれていきます。 ロドリゴは意気揚々と信仰と希望を胸に母国からやってきますが、キリシタン迫害というあまりにも厳しい現実を前に、何が正しいのか、という激しい葛藤に悩み苦しみます。 自分が棄教さえすれば信者たちは殺されないで済むという、自らの信仰か、人々の救いかの究極の選択を迫られます。 彼の呻きと苦しみが、画面を通して、否応なしに伝わってきます。 そして彼はとうとう踏み絵を踏みます。 その時、イエスの声が聞こえました。 「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ」 「私は沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ」 ロドリゴは踏み絵を踏むことではじめて、神の教えの真の意味を悟りました。 それまでのロドリゴは必死に神にこう祈っていました。この状況を何とかしてほしい、この状況から救い出してほしい。外側に向かって、劇的な状況の変化や奇跡を望んでいました。しかし神は沈黙したままでした。 踏み絵を踏んではじめて、ロドリゴは自分の内にいる神を見つけました。自分と共に苦しんでいた神を。自分と共に十字架につけられたイエスを。神が常に自らと共にあるという神の内在を体感したロドリゴは、信仰の真の意味を知りました。 踏み絵を乗り越え、真の信仰を得たロドリゴに形骸的なもの、司祭職やロザリオはもう必要ありませんでした。 神はいつも共にいる。自分のそばに。自分の内に。 何も語らずとも、彼は死ぬまでずっと信仰を守り続けました。 スコセッシ曰く、゛「踏み絵によって彼の傲慢が突き崩され、その結果、彼は一度空っぽになり、自分は仕える人になるのだと自分を変えた。だから、真のクリスチャンになり得たのです」” 聖書に「人の子は仕えられるためではなく、仕えるために来た(マルコの福音書10章)」とある通りです。 ロドリゴは身をもって、この重要な教えを体感したのでした。 そして、このロドリゴの死と復活こそ、この映画の一番のテーマです。 外国から来てキリスト教を教える宣教師という上から目線のロドリゴは、踏み絵によって粉々に砕かれ(死)、日本人に仕える者として新たに生まれ変わった(復活した)のです。 ですから、映画『沈黙 沈黙 サイレンス 映画 ラスト -サイレンス-』は、. . 映画『沈黙 -サイレンス-』のネタバレ感想・解説・考察を書いています。「沈黙 -サイレンス-」はマーティン・スコセッシ監督が手がけ、江戸時代の隠れキリシタンの姿が勉強になる映画です。. 人間の強さや弱さ. 『沈黙 -サイレンス-』()の結末・ラストシーンで、ロドリゴ神父は亡くなります。 監視役が棺のそばで見張ります。 沈黙 サイレンス 映画 ラスト ロドリゴ神父は棺の中に入れられ、妻がその中に「守り刀」を入れる時、「何か」を遺体の手に隠しました。. 映画『沈黙-サイレンス-』はブルーレイも発売されています。 窪塚洋介さんファンの方は買って損はないですね。 小松菜奈さんファンの方は微妙なので(^^;、無料体験で試されてから購入を検討された方がよいかと。. キチジローは徹頭徹尾、”私”と”神”との対峙の中にいる。最も弱い信仰心を持つように見えるキチジローこそ、唯一己の信仰と正面から向き合っている人物だという逆説がそこにある。 遠藤周作が提示した神は母性的な神だ、という意見をしばしば目にするのだが、そもそも新約聖書に出てくる神は母性的だ(もちろん厳しい面もあるのだが)。旧約聖書の神が父性的で断罪する神だとすれば、新約聖書の神は慈悲の神であり、新約聖書の神が提示するのはアガペーに他ならない。自己犠牲の愛であり、無条件の愛。ヨハネは「神は愛である」と記しているし、その愛の証こそがイエスであり、イエスこそが自己犠牲の愛の体現者だ。神の愛はすべての者に注がれている。 イエスの弟子の中には、罪人だった者がいる。そして、イエスと共に磔になった罪人2名のうち、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と信仰告白をした罪人に対して、イエスは「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と告げた。キリスト教で重要なのは、あくまでも個人の神に対する信仰心であり、そもそも「人間はすべて罪人」という認識がスタート地点なので、どの段階であったとしても(たとえ死の間際でも)、心から赦しを求めて信じれば認められる。そのためにイエスは地上にやってきたのだ。 では、ロドリゴはどうだろうか。「転ぶ」その瞬間まで、彼は自分とイエスとを重ねていた。磔になる直前、ゲッセマネでイエスは神にこう祈りを捧げた。 「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに」 (マタイ福音書26章39節) ロドリゴもイエスのように「なぜこれほどまでに苦しめるのか」と神に問うたが、答えを得られなかった。イエスもまた、ゲッセマネにおいて神からの返.

迫害されたキリシタンたちの惨状を目にして、ロドリゴは当然の疑問を持つ。「なぜ神は沈黙するのか」という問いだ。 フェレイラは、2度にわたってロドリゴの説得に当たるが、こうしたフェレイラの行動に、『荒野の誘惑』における悪魔の姿を重ねてしまうキリスト教徒は多いだろう。(『荒野の誘惑』:40日間、何も食べていないイエスに対して悪魔が提示する3つの誘惑と、イエスの拒絶が描かれる) 悪魔の誘惑は、「なぜ神は沈黙するのか」という疑念に通じるものだ。苦しみ抜いているロドリゴにとって、フェレイラの語りかけは(見ようによっては)説得力のある誘惑だといえるだろう。棄教を促すフェレイラは、ロドリゴの心を大きく揺さぶる。動揺しつつも最初はハッキリと拒絶したロドリゴだったが、目の前で吊るされる信者たちを前にして、遂に「転ぶ」ことになる。すると、それまで沈黙していた声がようやく聞こえる。「踏むがいい」。 フェレイラは、悪魔だったのか?それとも、ロドリゴと同じように”内なる信仰”に目覚めた者であり、キリストの愛の伝道師だったのか? スコセッシ監督は、この問いにひとつの結論を用意していた。棄教し日本人として生きるロドリゴの前で、フェレイラが思わず「Lord」と口走るのだ。神を「主」と呼ぶ。これは、神に仕える者からしか出てこない呼び方だ。. まず、遠藤周作の小説は、日本で既に篠田正浩監督が1971年に『沈黙 SILENCE』として映画化しています。 71年度のキネマ旬報ベストテンでは第2位を獲得。72年度のカンヌ国際映画祭パルム・ドールにもノミネートされました。 マーティン・スコセッシ監督版(以下MS版)と比べてみた場合、二人の若きポルトガル人宣教師ロドリゴとガルペが日本に密かに入り込み、そこで信徒たちの惨状を目の当たりにしながら数奇で過酷な運命をたどっていくという基本ストーリーに変わりはありません。 ただし、篠田版は遠藤周作自身が脚本に関わり、原作にはない描写が加えられています。 それはキリシタン武士・岡田三右衛門(入川保則)とその妻・菊(岩下志麻)の存在で、江戸幕府は捕らえたロドリゴを転宗させるため、岡田を拷問にかけ、夫を救うために菊は踏絵をしてしまいます。 この事態を目の当たりにしたロドリゴは大きなショックを受け、後々の展開に大きく影響を及ぼしていきます。 MS版では岡田夫婦そのもののエピソードはありませんが、その存在は語られ、篠田版とは違う意味でドラマに大きな影響を及ぼすことになるのですが、これ以上は記しません。 ぜひ劇場で、確認してみてください。 ただし、篠田版はこのエピソードを盛り込んだことで、観客にわかりやすく、信仰のために絶望に追い込まれていく者に対する真の救済とは何か? を説くことに成功しているように思えます。 簡単に言うと、スコセッシ版がキリスト教を日本に受け入れさせようと腐心した側の目線で貫かれているのに対し、篠田版は受け入れることができなかった側の目線から遠藤原作に臨んでいます。 そして、どちらも悲劇でありつつ、どちらも原作に内包される真の「魂の救済」を描き得ています(ただし、篠田版のほうが鑑賞後の重さはドッとくるかもしれません。その点、MS版のほうが観客に優しい感触は受けました)。 (c) FM 沈黙 サイレンス 映画 ラスト Films, LLC. 映画版のネタバレをガッツリと書きます! よりによって、ラストシーンです。 まだ映画を見ていない方は、ブラウザをそっと閉じましょう。 映画を見た後に、このブログを見たほうが絶対楽しめます! 映画『沈黙‐サイレンス‐』公式サイト. 米映画芸術科学アカデミーが現地時間の24日に発表した、第89回アカデミー賞の候補で、映画「沈黙-サイレンス-」の撮影監督を務めたロドリゴ. オープニングの風や虫の音が心地いい。映画はオープニングから沈黙を提示する。 まずは、スコセッシの言葉から紹介します。 ゛「この原作は日本で読み、すぐ映画にしたいと思いました。しかしどう解釈し、どう作るべきなのか、なかなか自分の答えが見つからなかったのです。当時の宗教観、日本文化への理解も不十分でした。そこから壮大な学びの旅が始まったのです──それは25年にわたる試行錯誤の旅でした。映画は完成しましたが、これで終わりだとは思っていません。今も自分の心の中に掲げ、作品と共に生きているという感覚でいます」” 1988年にマーティン・スコセッシが遠藤周作の「沈黙」に出会って以来、彼はこの企画をずっと温め続け、ようやく実現させました。 『沈黙 -サイレンス-』はまるでスコセッシらしくない、日本をよく知る日本人監督の映画と勘違いするほど、当時の日本人の生活が詳細に描かれていました。本当にスコセッシが撮ったのかと、ビックリするくらい良い意味で期待を裏切られた作品です。 農村の隠れキリシタンたちは汚れていて見すぼらしく、着物もぼろぼろで、当時の日本人たちが確かにそこにいました。 よくこんなに細かく描けたな、と本当に驚嘆します。日本人監督でもこんなに繊細には描けないでしょう。スコセッシは相当に詳細なリサーチをしたと容易に想像できるほど、完璧に当時の長崎を甦らせていました。 日本人で素晴らしかったのは、浅野忠信とイッセー尾形です。特にイッセー尾形は非常にタチの悪い長崎奉行の井上筑後守を見事に演じていました。嫌らしい笑顔の奥に凄みを感じました。 窪塚洋介に関して言えば、何か気負いのようなものが見え隠れした感があります。一生懸命頑張っている感じでした。 キチジローは卑小で、弱い男です。遠藤周作いわく、キチジローは自分がモデルだ、と。人間だれしもが持つ、弱さの象徴のような存在です。難しい役どころだと思います。 『沈黙 -サイレンス-』は、神と信仰がテーマです。しかし宗教観を語る難解な映画では決してなく、すべての人に通じる普遍的なテーマを描いているので映画として十分楽しめる見応えのある作品です。というか素晴らしい作品です。 映画を観た後は、衝撃のゆえ何日間も考えを巡らせるかもしれません。 さて、ここからは映画『沈黙 -サイレンス-』のネタバレを含む解説と考察をしていこうと思います。.

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